マルコ・ポーロ
1295年に始まったピサとジェノヴァ共和国との戦いのうち、1298年のメロリアの戦いで捕虜となったルスティケロと同じ牢獄にいた縁で知り合い、日本では『東方見聞録』という名でよく知られた旅行記『世界の記述』("La Description du Monde"。また"Il Milione"『百万』という写本名でも有名)を口述したという。
マルコには『イル・ミリオーネIl Milione(百万)』というあだ名がついていた。『東方見聞録』でルスチケロは次のように述べている。「それらはすべて賢明にして尊敬すべきヴェニスの市民、《ミリオーネ》と称せられたマルコ・ポーロ氏が親しく自ら目睹したところを、彼の語るがままに記述したものである。」このあだ名の由来には諸説あるがはっきりしたことは分からない。中国の人口や富の規模について百万単位で物語ったことからきたという説、またそれを大風呂敷だとして当時の人がからかい、そのように呼んだという説、またアジアから持ち帰った商品によって「百万長者」になったことを表すという説などがある。
彼の伝えたアジアの富に関する記事はよく読まれて旅行記は内容を書き加えられながら写本を重ね、後の大航海時代に大きな影響を与えたと言われる。『東方見聞録』は、中世におけるヨーロッパ人のアジア観を一変させたといえる。彼の時代以降、世界地図として一般的だったTO図は激減して社会的変化を呼び起こし、ルネサンスにも影響を残すことになった。
彼は元に滞在中、アジア探索を数多く行ったが、その中の一つに当時ヨーロッパで流布されていた、キリスト教国家プレスター・ジョンの発見を目指していたとも言われている。最終的には発見される事はなかったが、彼はプレスター・ジョンがアジアのどこかに存在すると確信していたと言う。
大英図書館中国部主任のフランシス・ウッドは『マルコ・ポーロは本当に中国へ行ったのか』(1995年、訳、栗野真紀子 草思社、1997年11月、ISBN 4794207891)において、『東方見聞録』に紹介されていない中国の風俗が多いことなどを理由に、マルコが元まで行ったことに否定的な見解を示している。ただしウッドの指摘する「マルコ・ポーロの記していない中国の風俗」に「万里の長城」が含まれているなど、ウッドの中国の風俗の理解にも疑問が見られる(万里の長城の築城は秦代および明代であり、明のひとつ前の時代である元代においては、万里の長城が最も荒廃していた時期である)。
日本のモンゴル史学者の杉山正明はマルコ・ポーロの実在に疑問を投げかけている。その理由として、『東方見聞録』の写本における内容の異同が激しすぎること、モンゴル・元の記録の中にマルコを表す記録が皆無なことなどを挙げている
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
マルコ・ポーロはヴェネツィア共和国商人、旅行家です。
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